カトーZAKKI(仮)

映画を介して出会った4人が雑記を投稿するカトウブログです。

フランス映画がもっと好きになる予感

どうも。カトーのひとり、じゃいあんとぱんだです。

とある縁で知り合った4人のブログです。

4人とも個性バラバラですが、これから映画を主にいろいろ書いていけたらいいなと思っているので、どうぞよろしくお願いします。

楽しく自由に、マイペースに更新していきたいです。

自由といえば、自由の国フランス(強引な話題転換)

わたしは映画が好きではあると思うのですが、映画に詳しいとまでは言えない感じです。

そんなわたしが昔から実はあこがれを持っているのがフランス映画、だったりします。

(大学では第二外国語で仏語を選択し、字幕なしでフランス映画を見ることを夢見ていましたが未だ実現せず……)

フランス映画祭オープニング

本日、フランス映画祭のオープニングに行ってきました。

ます上映の前にオープニングセレモニーが行われ、今年の団長(フランス映画祭には毎年、団長がいます。ちなみに昨年はイザベル・ユペール)であるカトリーヌ・ドヌーヴのトリビュートフィルムが流れました。

スクリーンに映るドヌーヴを見ていたら涙が出てきました。

2007年にドヌーヴが団長として来日した時も見に行ったのですが、今回涙が出て自分でも驚きました。

色んな出演作が流れて、本当に多彩な役を演じてきている驚きもなにより、その美しい顔に生まれるさまざまな表情が圧巻でした。

どの作品かわからなかったのですが、「シャンパンをかき回すな」と言われて無言でかき回し続ける姿可愛かったな……。

映像が拍手とともに終わり、観客の期待で静まり返った会場にドヌーヴ登場。

本当に大きな歓声と拍手で迎えられていました。立ち上がっている人もいたし、わたしのとなりの女性も多分泣いてた……。

挨拶では、今回のフランス映画祭では11作品中4作品が女性監督のものであり

それに大きな意味があること、今回のフランス映画祭のセレクションに賛同しますと語っていました。

様々なゲストが登場し、一際大きな歓声が沸き上がったのが、23日に上映される『エル ELLE』のポール・ヴァーホーベン監督と主演のイザベル・ユペール

壇上でキスを交わすドヌーヴとユペールを見て、なんだか感動。

そしてフランス映画祭2017親善大使の北野武が登場し、間違えて豊洲に行ってしまったと言いながら築地や加計学園などを挟んだトークで観客を沸かつつ、フランス映画との関わりを真面目に語る一面も。

ジャン・ギャバンセルジュ・ゲンズブールジェーン・バーキンカトリーヌ・ドヌーヴイザベル・ユペールなどの名前を挙げ、フランス映画に影響を受けて来たこと。

最近の邦画について、家族で楽しめる作品も結構ですが、映画を見た後に、カップルや友人で映画に付いて語り合うことで、お互いの見方を振り返ったりできることは大事なこと。フランス映画は語り易く、難しい面も持ち合わせている。今回、フランス映画際のオープニングセレモニーで挨拶を行って非常に光栄です。

と締めていました(覚え書きなので、もし違うところがあったらすみません)。

ゲストが壇上から下がり、オープニング作品『The Midwife』(英題)改め、『ルージュの手紙』の舞台挨拶が始まりました。

監督のマルタン・プロヴォは、自由な女性と自分を内側に閉じ込めてしまう女性があり、わたしがカトリーヌ・ドヌーヴを見いだしたように、女性が次第に自分を見いだす物語と作品を語り、

ドヌーヴは、感動させ笑わせてくれる作品で、いつもとは違う切り口でそれを伝えていると落ち着いた声音で語っていました。

本当に日本に来てくれてありがとうございますと伝えたいです。

その後、感動の余韻さめやらぬ会場で上映が行われました。

最後に、本日鑑賞した『The Midwife』(英題)について感想も添えたいと思います。

 

『The Midwife』(英題) 感想 

まずは、フランス映画祭のホームページに記載されている紹介分を引用。

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ぶつかり合い、認め合いながら、
今を強く生きる2人の女達の物語

フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴと、『大統領の料理人』(12)他で知られ、『偉大なるマルグリット』(15)でセザール賞主演女優賞を受賞したカトリーヌ・フロの豪華競演作!
実直な性格の助産師・クレールは、亡き父親の元妻で30年間姿を消していたべアトリス(カトリーヌ・ドヌーヴ)からの電話を受け、重要で急を要する知らせがあるので会いたいとせがまれる。真面目すぎるクレールと自由奔放なべアトリス。正反対の性格の二人だったが、お互いの古い秘密が明らかになるにつれ、失われた年月が埋まっていく。べアトリスが余命僅かであることが判明し、クレールは彼女の介護をすることに。やがて、家族としての絆が生まれるーー。
***
 
 ドヌーヴ演じるベアトリスはなかなか画面に登場しません。
 助産師のクレールが彼女から電話を受け会いに行くまで、クレールの日常が綴られていきます。経験豊富なクレールはシングルマザーで、シモンという医学部に通う息子がいますが、シモンもなかなか画面には登場しません。経験豊富な彼女は、実直で真面目であり、妊婦によりそう優しさも兼ね備えた、デキルオンナ。そして、どこかせっぱつまったというかルーチンな日々に疲れ、他人に弱みを見せず、自分の感情を押さえ込んでいたりなにかに抑圧されるというか縛られているような様子です。そんな彼女の移動手段は自転車で、病院への通勤や、家庭菜園に行ったりしているようです。
 ある日、留守電を聞いてベアトリスの元をクレールが訪れ、初めて画面にドヌーヴが登場します。来客があると分かっていたはずなのに、セクシーなナイトウェアに花柄のガウンを羽織っていてスゴイ感じがありつつ、クレールにお酒をすすめるも断られ、その時かかってきた電話から借金をしている様子がわかるなど、ちょっと侘びしい感じも醸し出しているのです。そして、この初登場の仕方は、クレールはベアトリスに振り回されていく序盤の流れを予感させつつのミスリードでもあるように思います。
 
 この作品の印象を一言で表すと、「ザ・現代のフランス映画」。
 なにをもってそう感じたかというと、それはリアリティと作品のバランスでしょうか。
 クレールが働く病院での出産シーンは本当にリアルです。劇中のセリフで「こうやって生まれるのね」と母になった女性が言いますが、見ているわたしもまったく同じ感情を持つほど、出産シーンはリアルでした(ドヌーヴファンの母と見に行った為もあるかと思いますが、観賞中隣にいる母の存在を感じて命の誕生に感動しました)。あなたはこうして生まれて来たんだというシンプルなメッセージであり、それによっておのずと画面の中に生きている人々の存在がリアルに感じられるような気がしました。
 そして、画面はシーンがわかり易いように構成されているのですが、風景や街角を捉えた映像ではその無機物が主役になっていて人物はその一部として写っているようで、P.O.V.ではクレールが主体となっていることが多いと思いました。ベアトリスがクレールにタクシー代を渡すからと鞄の中を探している映像から切り返して、既に去っていて遠くを足早に歩くクレールが映るようなシーンでは、ベアトリスの視点ですが自然とクレールの心情を想像しました。クレールが存在する空間で、俯瞰的に、またはクレールが見えないものが映っているので、絶えずクレールの存在を感じるのだと思います。そしてクレールがベアトリスを受け入れ始めて初めて、ベアトリスの個人的な時間が映され始めます。そのような細かいバランスによって、平穏に暮らしていた女性(クレール)の生活に、対照的な女性(ベアトリス)が介入して、変化していく内面という物語にリアリティが生まれているような気がします。
 
 フランス映画らしさーー難解で受け身で見られない(あくまで個人的なものです)という認識ーーを残しているような風に揺れる木々の映像の挿入や、意味深なラストシーンもあり、見やすいけれど余韻が残るのです。また全体的にシーンが変わる間際に余白的な長さがあり、映画を見ながら自然と思考する時間があったような気がします。 映像については感覚的に感じた事なので心もとないですが、映像的にも物語的にも、フランス映画らしさ、現代性といったバランスが、ところどころあるように思いました。
 ベアトリスとクレールは色々と対照的に描かれています。ベアトリスがお肉と卵、お酒とタバコが好きなら、クレールは野菜と魚と玄米が好みだし、男性遍歴もベアトリスが経験豊富なら、クレールは消極的な様子です。そんな対照的な二人を結びつけるのは、ベアトリスの元夫かつクレールの父親の存在であり、過去に父親を通じてふたりが過ごした時間です。突然家を出て行ってしまったベアトリスに対して「父を捨てた」となじるクレールですが、後に知人に彼女を説明する際には「過去にわたしを裏切った」と語っていました。前述した自転車での移動を主にしていたクレールが、ベアトリスの為に車を運転したり、物語がすすむにつれ彼女の行動にも様々な変化が出ていきます。それはそのまま心情の変化でもあるのですが、次第に“素顔”になっていくようでもあるのです。自分の感情に素直になるというよりは、感じた感情をそのまま出すという率直さ。個人差があるかもしれませんが、大人になるとなかなか“素顔”になるのは難しいです。そしてベアトリスのセリフも「自由に生きて来たから、死ぬのは怖くない」から、「生きたい」という言葉に変わっていきます。ベアトリスに対しては彼女の死に対する感情が変化したようにも、クレールに対して“素直”になったようにも見えます。二人の変化が微妙に異なるように感じるのも、キャラクターが描き分けられていて物語をリアルに感じられる部分です。
 ベアトリスは我慢が苦手でいけないこともやるし、自由奔放で、でもすぐ人の心に入り込むような魅力的なひと。人に頼るのも上手いし、でも自分に取ってバランスの良い距離感をわかっている。すこし猫みたいだと思いました。そんな女性をドヌーヴが圧巻の存在感で演じていました。ベアトリスは常に今を生きているような存在。そんなキャラクターをドヌーヴが演じていることが、もう「フランス映画」でした。
 なんだか強引な感じですみません。
 
 この作品は、冒頭に「助産師に捧ぐ」というメッセージが出ますが、女性たちの表情が印象的です。クレールの病院に車で駆けつける臨月の若い女性を取り上げる助産師たちの柔らかい楽しげな様子が印象的でした。生と死を通して、女性に対しても人生に対してもエールを贈っている映画だと思います。
 今年12月に『ルージュの手紙』という邦題で公開予定です。
 ぜひ見に行ってみてください。普段ひとりで映画を見ることが多いのですが、親善大使の北野武さんの言葉を聞いたこともあり、だれかと映画を見るってやっぱり素敵なことよねと思いました。
 そしてフランス映画への憧れが甦った一夜でもありました。
 text by じゃいあんとぱんだ